俺とゲーセン 通っていたゲーセンの紹介 くそなべ 御存知ホーム。(御存知じゃないって) ◆幼少時代 4歳の頃から毎日通い、ここで社会を覚えた。 今思えば幼少の頃から一般常識や上下関係を学べる貴重な場所だったと思う。 近年凶悪犯罪の幼少化が進んでいるのは、このような場がなくなったからだと 言えなくも無い。 通い始めの頃はまだビデオゲームが無かった。 「歯ブラシチョコ」と「くろちゃんの焼きそばコーン」を買って、10円のエレメカ をちょろちょろやる毎日だった。 一緒に通っていた斉藤兄弟は1日の小遣いが100円だったのだが、俺はその頃小遣いを 貰っていなかったと思う。お年玉を少しずつ使っていたのだろうか? 4歳児にそんな 賢い使い方ができるのか謎ではある。 しばらくしてスペースインベーダーが入荷した。 これはあまりハマらなかった。エレメカの方が楽しいと思っていた時代。 その後入荷したのがユニバーサル(現アルゼ)のギャラクシーウォーズ。 くそなべが自腹で買った最初で最後のゲーム筐体。(以降レンタル) いやー、これはハマった。 当時はこれをめっちゃくちゃ面白いと思ってプレイしていた。 白黒画面にセロファンを貼って、カラーを演出しているよ。 この頃は店で最年少だった。 一癖も二癖もありそうな恐いお兄さん達(に見えた)が多かったが、その後くそなべ はゲーム好きがメインの客層に変わっていく。 ◆小学校高学年時代 この頃もまだゲームをやる同級生は少なかった。 俺は毎日やっていたので、ゲームだけはかなり上手くなっていった。 本当にゲームが楽しくて仕方ない毎日だった。 新作が出ると眠れないほど興奮したな。 ◆中学時代 同級生もくそなべに集まるようになってきた。 この頃の常連 ・T 全国で3世帯しかない苗字だからイニシャルで。 同じクラスの悪ガキ。家が近かったのでいつもつるんでいた。 クォーターでかなりモテた奴だ。 ・べーしゅん 同じクラス。車上荒らしやその他諸々の悪さをしていたのでいつも小銭を持っていた。 なぜか学校だけは超早く来ていて、布袋に大量に入っている小銭をよく一緒に数えた。 うちに遊びに来ているときは大人しかったので、親受けは悪くなかった。 ・板 同じクラス。金持ちでゲーム好き。 ・下沢 親から金を騙し取ってそれをゲーム代に充てていた。 ・Y 1個下の学年の番長。 めっちゃくちゃ元気でいつもニコニコしていた。強くてひょうきんな奴だったが、 知らない人間にもやたら話しかけるので、一緒に街(県で発展している所の俗称)まで 行った時は恥ずかしい思いをすることが多かった。 対して、2個上の兄は中卒で早くもヤクザになって、寡黙で見た目も恐かったので、 あまり話をしなかった。 2人ともあまりゲームはしなかったな。ただいるだけ。 ・Sさん Sって店の息子。1個上。 この人は高校で番長になった。最近の不良は鬱屈とした表情で「だりぃ」とか言いまくる だけだが、昔のツッパリは明るくて、人生を楽しんでいる人が多かった。 このグループも毎日面白いことを全力で探して実践していた。 高校になってから良く女を紹介してくれたけど、みんなヤンキーだよ・・・。 くそなべでは最初にラムネを買うのが定番スタイル。このラムネは50円だった。 今スーパーに出回っているようなニセモノ(って言い方もあれだが)ではなく、本物のラムネだ。 最近はラムネ壜を作る職人も少なくなったので、再利用の壜が地球上から全て無くなったら、 プラスチックの容器やワンウェイ壜だけになるのだろう。悲しいね。 ラムネにはくじがついていた。1本買うとおばちゃんが1枚くれる。 8回に1回ぐらいは当たっていたかな。ほぼ10円か20円だけど。 このラムネは美味かったな~。これを越えるラムネにはもう会えないだろう。 昔はちゃんとレジを使っていたのだが、途中で壊れて、薄緑色で底の浅い四角い缶が現金入れ になった。以降閉店までずっとこの缶だった。もう錆だらけ。 中学の頃には店ともだいぶ親しくなっていた。 そりゃそうだ。実のおばぁちゃんより接している時間が長いんだから。 駄菓子を買ったら代金を自分で缶に入れて、おつりも勝手に取るようになった。 たまに家に上がりこむこともあった。 子供が多いのでどの部屋も散らかっていた。使われなくなったエレクトーンで良くゲームの曲 を弾いたりしたな。 ◆高校時代 登校前に1プレイ。帰りにももちろん寄る。 この歳になると通行人から丸見えの店でゲームをやることが、少し恥ずかしいような 気になってきた。まだ「ゲーセン=悪」のイメージが残っていた時代だ。 この頃の常連一覧 ・みちょさん ゲームを心から愛する真のゲーマー。いつも一緒にプレイしていた。 学年が1個上だったので、俺が高3の時には卒業して働くことになったが、それでも毎日 来ていた。社会人になっても来ていたのはこの人だけだろう。 夜勤明けで来るパワーが凄い。ゲームの腕は一流だった。 ・ヨネさん 1個上。ダメ高校に通っていたツッパリ。 変な言葉をよく開発していた。 ・餅さん 1個上。ダメ高校に通っていたツッパリ。 ヨネさんとセット。 池田 意地悪ばあさんみたいなばばぁが店主の店。 くじで当たりが出ると、「本当にうちで当たったの?」って必ず言われた。 おまえの目の前で今買ったばかりじゃねーかっ! 少し汚れた硬貨を出すと、「随分汚い10円玉だねぇ、磨けば綺麗になるのに」 って嫌味を言って、その場でゴシゴシ擦り始めるのだ。 つ、つまり綺麗に磨いた硬貨を持って来いと仰るのか? コインはじき1台、パチンコ玉はじき1台、18インチテーブル2台があった。 ノーティボーイ、バーニンラバー、クレイジーコングなどがあったな。 100万点でジュースが1本貰える。(1人1本まで) 杉田 薬局を経営している杉田社長の店。 ここの社長は俺のことを不良と勘違いしていて、いつも持ち物チェックをやられた。 「シンナー持ってないか? 凶器持ってないか?」って。持ってないよっ! 最終的には仲良くなったんだけど。 コインゲーム7台、18インチテーブル12台があった。客はほぼ0人。 エキサイティングアワーがあったな。 ここでは仲間達とコインゲームをやることが多かった。 ダイナックスの初期の花札(ペイアウト甘い)があって、それにハマるやつが多かった。 競輪のコインゲームもあった。1台落車するごとに払い出しが2倍になる「落車ボーナス」 があったので、本物の競輪もそうなのだろうとずっと思っていた。 ここのゲームで小遣い稼ぎをしたことがある。 機械にある仕掛けをして、2~3日おきにアレをアレした。 ごめんなさい。もう時効だと思う。 杉田2号店 客0 1号店のすぐ対面。40台ぐらいあったかな。 そのうち5台ぐらいは、18インチ筐体の中にファミコンを入れてあった。 グラデウィスとかコンテニューコマンドがあったから永久プレイ可能。 ファミコンで金取るのかよって突っ込んだら、「これファミコンじゃないよ~」 って言い訳してたが、ゲーム通相手に誤魔化せるわけがない。 半年後ここでファミコンの本体が10台ぐらい売り出されていた。 少し茶色くなってたんだけど、「新品だよ~」って・・・社長セコイな。 ここにはナムコのオールド(当時基板高騰していた)が大量にあった。 モトス、ホッピングマッピー、ワンダーモモ、メトロクロスなどがあったな。 あと将棋の「名人戦」があった。これは負けない限り永久に遊べるので、よく入玉 させてたなぁ。 70歳ぐらいのおじいさんでよくこれをプレイしている人がいて、ランキングは 全てその人の名前になっていた。「だいさく」だったかな。入力ミスでいくつか 「だいさ」とか、「だ」になってたけど。 杉田3号店 1、2号店から400Mぐらい離れた場所にできた。店名は無かった。 3F建てのビルの2Fにビデオゲーム、3Fにビデオゲームとビリヤードがあった。 ビリヤードはラシャにジュースをこぼすと10万円、玉に傷を付けると1mmにつき 5千円頂きますって書かれてあったな。 夜になると魚おやじ(社長の親友)がやってきて、いつもヴォルフィードをプレイ していた。このおじさんとは競馬の話を良くしたような気がする。 クエスター、剣豪、モンスターランドなどの印象が強い。 ここで何度か喧嘩をしてしまったことがあるが、当時は別に珍しいことでもなかった ので大事にはなっていない。 扇屋 市内最大面積を誇るゲーセン。 扇屋が潰れてその2Fがゲーセンになったのだが、扇屋の看板は残ったままだった ので、みんな扇屋と呼んでいた。 テーブル筐体(1P50円)だけで200台以上はあったと思う。アップライト (1P10~30円)も20台ぐらいあったかな。 オールドゲームが充実していたので1日中遊んでいても飽きない店だった。 ミスターDo、ファンタジーゾーン、ガズラー、魔界村などが印象に残っている。 中学のときゲーセンは立ち入り禁止って校則があり、ここは巡回場所に入っていた。 何度か見付かって反省文書かされたり停学を食らったりしたが、義務教育に停学も クソも無いので、何食わぬ顔して普通に登校していた。 1Fはユニクレープと古本屋だった。 テレプラ 入口は「TVプラザ」の黄色い看板、出口は普通の勝手口のドア。傍目にはゲーセンに 見えないだろう。 ガレージを改装してできた真っ暗(ゲームの明かりだけ)なゲーセンで、市内で最も 治安の悪い場所だった。 店主はおじいさんと長髪(弁髪)のお兄さん。髪が長いってだけで俺達はオカマって 呼んでいた。二人とも只者ではないのは確かだ。 店内のホワイトボードに「喧嘩 ゆすり たかり 恐喝は禁止 すぐ警察呼びます」 って書いてあったのだが、それでも毎日のように事件が起きていた。いつもパトカーが 来ていたな。幸いにも小学生だったので事件の被害者になることは無かった。 客層がその辺の駄菓子屋とは明らかに異なり、今思うと恐い場所だった。 ロットロット、グラディウス、ディグダグ、ロックンロープが印象深い。 換金可能なコインゲームもあった。レートは買い10円、売り5円だったかな。 2 4 6 8 10 30の普通のルーレットだったので、これで勝つのは無理だけど。 ジャスコ 明るいゲーセン。 土日はめっちゃくちゃ混んでいたな。 フェアリーランドをやるとギャラリーが20人ぐらいついた。大袈裟に言っているのでは なく本当の話だ。この頃はデパートのゲーセンにまだ活気があった。 スガキヤでラーメン食ってゲームやるのがパターンだった。おやつはソフトクリーム。 フェアリーランド、アルゴスの戦士、忍者龍剣伝が印象に残っている。 コインゲーム、エレメカも充実していた。ここでしか見れなかったゲームも多かった。 検索しても出てこないのでレアだったんだろうな。 カチンコでゲームを壊してしまったことがある。ごめんなさい。 お菓子を取るクレーンゲームで、出口から腕を突っ込んで景品を・・・ごめんなさい。 たわら屋 トーコー(デパート)が潰れてできた3F建てのミニデパート。 3Fがゲーセンだった。 ジャイロダウン、Drドッペル探検隊しか記憶にない。 横断歩道で止まらなくてはいけない大型筐体のドライブゲームがあった。 音楽は頭にこびり付いているが、タイトルが思い出せない・・・ サカモト 5F建てデパートの5Fにゲーセンがあった。 ここの店員は紫の髪をした派手なばぁさん。 このばぁさん、出勤と同時にミスタージャンをプレイし、閉店までそれに没頭するのだ。 よく飽きないなぁ。仕事中にゲームやるんだから平和だ。 マリオブラザーズ、ペンゴ、カルテット、クライムファイターズ、特殊部隊UAG が印象に残っている。 セガのグランドダービー(コインゲーム)があった。 スタート直前に「ダークホース」って表示が出るとなぜかX2になったが、なぜX2に なるのかはわからない。 110倍が最高倍率だったかな。音楽と一部の馬名をまだ覚えている。 コンセントを抜くとそのレースは無効になるので、ゴール直前で負けっぽかったら その技を使うこともあった。 普段の日は19:00(18:30だったかも)閉店だったが、 七夕祭りの日は23:00までやっていて、客層がいつもと異なっていた。 壜のドクターペッパー自販機があり60円だった。 王冠に何らかの景品が当たるくじが付いてたり、壜底に現金が付くキャッシュバックの キャンペーンも良くあった。大抵は10円で、それがガムテープで止めてあったな。 お菓子を取るクレーンゲームを筐体ごとひっくり返したことがある。ごめんなさい。 岡庭 くそなべやピノキオにゲームをレンタルしている中間オペレーター(ディストリビューター?) 岡庭自体は市のハズれの方にあり、ゲーム機も7台程度しかなかったが、何せ卸であるから 新作の入荷は最速だったし、メンテナンスも完全な状態だった。 顔にボツボツのあるおやじ(子供嫌い)が店主で、息子も仕事を手伝っていた。 ゲーム通の息子とは良く話をしたが、街のゲーセンが廃れた今、彼らは何をやっているのか 気になる所だ。 ピノキオ 地元の人に教えてもらったゲーセンが、偶然にも岡庭の息の掛かった店だった。 岡庭から50kmぐらい離れているのに凄いなぁ。故障の度にここまで来るのは大変だろう。 ここは菅井きん似のおばぁちゃんがやっている掘っ立て小屋ゲーセンで、テーブル筐体のみ 20台が置いてあった。 カップ焼きそばを食いながらゲームをするのがここのスタイル。 他の店ではお湯を入れて渡してくれるのが普通だが、ここのおばちゃんはお湯捨て、ソース入れ、 かき混ぜまでやってくれる。かき混ぜるの見て、何だか汚いなぁとか思ったりした。 生協 某郡にあった生協の脇にあったゲームコーナー。 台数はアップライトのみ3台。 自分でカバーを剥がして、コンセントを刺さなければならない。終わった後はもちろん元通りに するのが鉄則。 ペンゴ、ディグダグがあった。 関係ないけど裏の山でミヤマクワガタが良く捕れたな。 ここまではガキの頃(高校時代含む)のゲーセン。ジャスコ以外は全て閉店してしまった。 ------------------------ ここからは近代化された健全なゲーセン ハイテクセガ の某店。(現在閉店) ここのストⅡを通じて、人生を左右するような出来事に多く出くわした。 結果的には良かったのかな。 V店 経営していたポーカーハウスがうまく行かず閉店。都心の超一等地にゲーセンを構えた。 客は俺達しかいなくて、行くといつも台の鍵を投げてくれたので、ゲーム代はほとんど タダだった。 都心ではあるが、オフィス街なのでそんなに客は来てくれない。どうしたら売り上げ 上がるかねぇってみんなで考えて、コミュニケーションノートとか設置してみたんだけど、 ちょっと場所(昭和通り沿いなんだけど)と雰囲気が良くないかな。 1年持たずに閉店した。 ワイルドキャッツの改造スロが置いてあって、6枚掛けすると第3リールの目押しで いくらでも景品が取れた。 トーヨコ (現在閉店) 近いから良く行っていたのだが、ここが偶然にもスコアラーの巣窟になった。 ある日、店長に常連達を紹介され、ライターの話も持ち掛けられた。 内藤君を紹介されたのもここでのこと。 色々なシューターを見てきたが、彼はヤバイ。 巣鴨キャロット ここでも多くの知り合いができた。 変態レベルのスコアラーが多かったなぁ。 みんなゲームに命を懸けていた。(ように思う) 駅前のヴィドはおやつで良く利用した。 ヴィドができる前は何も無かったように思う。記憶が無い。 某ランド (現在閉店) 低料金で遊べるファミリー向けゲーセン、と社長が言っている。 親同伴ならガキも0時まで可。 UFOキャッチャーや落とし系の景品が、たわし、雑巾、コンドーム、化粧品、食料品、 熱帯魚(もちろん交換券)、下着など生活雑貨が多かった。仕入先は主にロジャース。 棒落としは溢れんばかりに景品を入れてくれるので、100円で10個ぐらい取れることも 珍しくなかった。 いらない景品はコイン30~100枚と交換してくれたので、本当に遊べる店だったな。 コインゲームの設定も全て最高にしてあり、10000枚程度の当たりはちょくちょく出た。 ここの社長は元々ポーカー屋の人。引退して道楽でゲーセンをやってみたとのこと。 ウエアハウス 某店。 駐車場待ちの列が常にあるとか、朝一の並びが凄いとか、やたら繁盛しているゲーセン。 開店ダッシュで皆が向かうのはパチらしい。 UFOキャッチャー系は設定が良い。アーム強くしてあるし、景品の質が高い。 サイクロン掃除機などの家電も取ったし、ぷーさんの特大ぬいぐるみを取ったりもした。 どっちも100円で取れたが、単価は相当高いだろう。 信玄イカ、剣先イカ、おやつカルパスなどもボコボコ取れる設定だった。(今は少し落ちた) MFCは70台あってALL100円。 現在ゲーセンに行く頻度は劇的に減った。 たまにMFCをやるぐらいだろうか。 ビデオゲームは新作が発売されないし、このまま廃れていくのだろう。 主流はカードゲームや通信大型筐体だろうか。ハマったら金も時間も高く付きそうだし。どっちも あまりやろうとは思わない。 戻る